2024.1.11
三日坊主ではなく二日にして筆を取らなくなるとは自分のポテンシャルに驚きを隠せない。
二週間弱ぶりに出社をすると、朝起きて勤務するルーティーンに体がついて行かずに、日々寝ぼけ眼を擦りながら働いている。
サステナビリティレポートなるものが自社で発行されていたので覗いてみたが、どれもこれも良いところばかり書いていて、実態が追いついていないものが多く、呆れてしまった。会社の方向性としては自身としても良い教材になるので一通り目を通して自社理解に努めたが、どこで使われてるかも分からない技術の紹介など良くも悪くもいい勉強になった。
iPhoneの充電ポートが壊れたことで新機種の買い替えを検討している。家族名義の携帯をどうするか計画を立てていると、頭の片隅で考えてしまうのは実家の荒れ果てた、ゴミ屋敷となっている現状である。
年始では祖母が入院しているにもかかわらず、祖母のいない家に家族集まったのは、実家が集まれる状況ではないことあると察し、酷く悲しくなった。社会人になってから私のお金を捻出し、実家の清掃計画を夢想しているが中々実行に移せない。会社の異動で東京に行くまでには実行に移し、自身で帰りたくなる家を用意したいものだ。
親が用意してくれるならそれまでだが、私の幼少期時代から変わらない様子では期待できない。それにより私の卑屈なアイデンティティが形成されたことは親は露知らずだろうが、これは私の胸の内に秘めておく。
縁を切るのは簡単だが、親を悲しませるわけにはいかない、親孝行や仁義を大切にしたい。
2024.1.5
今日は未だに仕事始めをせずに家でゴロゴロしていた。何もせずに過ごす時間に焦りを感じるために少しでも自分のためになれと、最近気になった事を調べて自分の知識になるように努めた。
虹の発生する条件や飛行機の揚力、台風が発生する原理について調べた。1つ1つ紐解いて仕舞えばそれほど難しいものでも無い気がするのだが、高校2年生の時の物理の先生が苦手すぎて未だに物理の諸現象については取っ付きにくい印象がある。
今までも苦手な分野については文章を斜めに読んでしまったり、読む事を諦めることが多かった。今年は出来ないと決めつけずに何にでも理解する姿勢を持って取り組む事を心がけ、避けてしまっていた分野の知識習得に向けて努力したい。
中学の頃の同級生が二人ほど婚約をしたため、10人ほど集まって飲み会をした。久々に集まる面々で交わす酒は楽しかった。
2024.1.4
三が日も終わり今日から仕事始めの人も多いだろう。私は溜まった年中消化も兼ねて年始もお休みをいただき、未だ正月気分を抜け出せずにいる。
今年はどんな一年にしようかとふと考える。やりたい事は多いが、中々実行に移すのは難しい。昨年の後悔は、ツールドフランスやF1を見始め闇雲に趣味拡大を狙った結果、どれも中途半端に結果を確認することになったことだ。
去年初めて露呈した悩みであったが、まだまだ見たいコンテンツは多く残されているため、今年は自身でどう追っていくかも考えながら趣味を増やしていきたいと思う。(分かりやすいところでいうとYoutubeのショートにかける時間が長いのでそこを削って生産性のある時間を過ごしたいと思っている...。)
社会人になって活字を読む時間が圧倒的に減った。自身の好奇心は幼年期から変わらず、あらゆるジャンルにおいて興味が尽きないと感じているが、一次情報に触れる時間や体系的に知識として獲得されたものが年々減ってしまっていると感じる。それによる弊害として会話のジャンルが狭くなり、以前は沈黙を良しとせず喋り続ける事でコミュニケーションをは図っていたが、何も浮かばず沈黙が生じる時間も是として始めているように思える。また、率直に語彙力の低下が著しい。
ここらで歯止めをかけるべく、また一つの転機として日記をつけようと思う。自省の時間は大切である。その日感じたことをそのままにせず言語化、思考化までしてやっとアウトプットとして他人と議論ができる。この日記を通して日々感じたことを綴れればと思う。
今日は昨日放送されていた水曜どうでしょう四国八十八ヶ所3に影響され、八十八ケ所1を視聴した。Netflixでも見れないシリーズが多い中、DVDの購入検討もよぎるところである。今年はどこかのタイミングで買って彼女と見ようかと思案に耽る。
最近感じたことといえば、人が感じる疑問と常識の差についてである。疑問を感じる事は誰しもあるが、それを不合理として発するか、興味として考え/自己解決した上で発するか、この2つには大きな隔たりがあると感じる。前者の時点では思考が浅いあまり、それについて他人が憤りを感じる場合がある。
例を出そう。昨日バラエティ番組である芸能人がツッコミのレパートリーを増やすために目につくものに対してツッコミを入れるようにしており、公衆電話を見るなり「公衆電話かい!まだあったんか!」と発した。
この1シーンについて思った事は、連想するものは人それぞれであり、それを誰彼に対しても適切に言語化する難しさである。
公衆電話については電気通信事業法第十四条の第一種公衆電話の規定に基づいて設置されているものであり、その保守についてはユニバーサルサービス料として公衆電話をご利用になられないお客様からも、固定電話料金に加算し徴収して実施されているものである。
公衆電話が「まだあったのか」という疑問については異論はない。知らなければそれまでであり、他人が持つ疑問を否定することもなかろう。しかし、それを自己解決しないままに発することでそれを良しとしない人がいるという事を考えねばならぬ。
保守・運営を担当する企業は利益を追求しビジネスとして設置しているわけではなく、法律で定められているところで実施を行なっている。法律による規定で企業は稼働負担や責任を負っているにも関わらず、上記の意見を聞くと違和感を感じる場合がある。
何も思案せずに意見を言う事は簡単であるが、あらゆるパターンを想定して発する事が重要である。その中にボケ/ツッコミという構造のお笑いの難しさも感じるし、これは日常会話においても、多様性の認識については特に、大切であると思う。